コルシカ島は、地中海でもっとも美しい島だと言われています。
視覚的な美しさはもちろん、古代ローマから始まりイスラーム、フランス、イギリスなど、多くの国や民族が欲したために奥深い歴史ももっています。
あのナポレオンが誕生したことでも知られるコルシカ島の歴史の解説です。
キーワード解説:コルシカ島
コルシカ島ってどんな島?
フランスから飛行機で90分、地中海でもっとも美しいと言われているコルシカ島を紹介します。
イタリア半島とフランスの間に存在するコルシカ島は、広島県や兵庫県ほどの面積でおよそ30万人が暮らしています。
「海に立つ山」と呼ばれ山岳地帯もあります。
島最高峰のサント山の標高は2,706mにのぼり、現在は地中海を代表するリゾート地の一つです。

コルシカ島の歴史
ナポレオン誕生の地として知られるこの島の歴史をみていきましょう。
コルシカ島の歴史〜古代から中世〜
紀元前2世紀、ローマとカルタゴによるポエニ戦争の結果、コルシカ島はローマに占領されました。
島内陸部に眠る鉱物資源の獲得を目論むローマと衝突し、規模の大きな戦いも複数回起きています。
その後、コルシカ人はローマ人の奴隷として使われました。
5世紀、コルシカ島はゲルマン人の大移動の影響を受けることとなります。
ローマ帝国の衰退と、ゲルマン人や勢力を広げるイスラームの度重なる襲撃に苦しみました。
コルシカ島がローマに近かったことから、ローマ教皇はこの島の征服を目論み、キリスト教とイスラム教の布教戦争のターゲットにもなります。
さらに、6世紀以降はピサやジェノヴァといった現在のイタリアにあたる海洋都市国家に目をつけられました。
コルシカ島の歴史〜近代から現代〜
コルシカ島が転換期を迎えたのは16世紀中頃からです。
この頃からフランスが侵入し、後にフランスに帰順します。
1599年のカトー・カンブレジ条約によっていったんはイタリア系のジェノヴァに返還されますが、18世紀中頃から再びフランスの介入がすすんでいきました。
フランスに完全に帰属してからまもなく誕生したのがナポレオンです。
フランス人として生きていくことを決意した彼は、1794年にフランスとの戦いの拠点を欲して到来したイギリス軍から、96年にコルシカ島を解放しました。
様々な国、民族の思惑に翻弄されながらもそれ以後、現在に至るまでコルシカ島はフランス領となっています。
まとめ
地中海に浮かぶコルシカ島は、その土地を欲した人々によって様々な文化が入り混ざることで多様な文化をもつ島となりました。
皆さんも、美しい自然とともに歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

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