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【大阪都構想に迫る】第1回 そもそも「区」とは何か(By るた)

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【大阪都構想に迫る】 第1回 そもそも「区」とは何か

11月1日投開票の「大阪市廃止・特別区設置住民投票」、いわゆる「大阪都構想」の住民投票まで残り約1週間となった。

この住民投票において「賛成」が有効投票の半数を超えた場合、大阪市は廃止され、4つの「特別区」が設置される

迫る投開票日を前に、賛成派、反対派とも活動をヒートアップさせているが、少し政局的な話とは距離を置いて、根本的な定義についてそれぞれ検証していきたい。

2つの問題提起がある。まず、「区」とは何か、そして、「都」とは何か、である。

今回は、「区」とは何か、という点について検証していきたい。

「特別区」とは何か

基本的な説明を先に済ませておこう。

冒頭で述べた通り、この住民投票で「賛成」が過半数となれば、大阪市は廃止され、4つの「特別区」が設置される。

さて、「特別区」とは何か。

地方自治法によると、特別区とは「特別地方公共団体」(同法第1条の3第3項)のひとつである「都の区」であり(同法第281条) 、基本的には基礎的自治体である「市町村」に準ずる地方公共団体とされ、市に準ずる権能が付与されている(同法第281条第2項および第283項)。

特別区と一般市の権能の違いについては説明を省くが、地方自治法において「地方公共団体は、法人と」されるため(同法第2条)、特別区には地方公共団体としての法人格が与えられている。

すなわち、特別区は独立したひとつの「会社」として目的達成に必要な範囲で公権力の行使が認められる。

一方、すでに大阪市には24の「区」が設置されている。

これは「行政区」と呼ばれるもので、政令指定都市が、「市長の権限に属する事務を分掌させるため、条例で、その区域を分けて」設置するものである(地方自治法第252条の20)。

すなわち行政区は、法人格を持つ地方公共団体として公権力の行使が認められる政令指定都市において、その事務を分掌させるために設置される内部団体である。行政区には法人格がなく、あくまで市の事務を代行するいわば「支店」に過ぎない。

現行法において、特別区と行政区は、その「区」という呼称こそ同一にするが、実態は似て非なるものなのだ。

それにしても厄介な話である。なぜまったく実態の異なる特別区と行政区に、同じ「区」という呼称が付され、そして現行の市とその内部団体である「区」(=行政区)を廃し、新たに「区」(=特別区)を設置する、という難解な議論が進められたのか。

歴史を紐解いてみると、そこには「区」をめぐる試行錯誤があり、東京の「区」と大阪の「区」がまったく異なる歴史的背景を辿ってきたわけではないことが分かる。

今回の検証は、そんな「区」の歴史にフォーカスすることで、改めて「区」をめぐる今回の住民投票に向き合う検討材料を提供するものである。

「区」の起源

大阪における「区」の起源は、1878年の「郡区町村編制法」に遡る。

このとき江戸時代からの郡や町村に加えて、新しい都市制度として芽生えたのが「区」であり、現在の「市」の前身といえるものだった。

同法には「三府五港其他人民輻輳ノ地ハ別ニ一区トナシ其広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス」(第4条)とあり、三府五港、すなわち東京、大阪、京都の三府と、横浜や神戸などの港町、それに名古屋などの人口が集中する都市に、神奈川県横浜区、兵庫県神戸区、愛知県名古屋区といった形で区が設けられた。

とりわけ東京、大阪、京都は「広闊」すなわち特にひらけていたので、東京には麹町区など15区、大阪には東西南北の4区、京都には上京区など3区が設けられた。

1888年に公布、翌年に施行された市制町村制において、横浜区や神戸区など大部分の区はそのまま横浜市や神戸市へ移行した。

他方、複数の区が設けられた東京、大阪、京都では、区を存続した上で、それら複数の区域をもってそれぞれ東京市、大阪市、京都市となった。
ただし東京、大阪、京都の3市に対しては市制町村制の施行直前にいわゆる「市制特例」が制定され、市制に定めた市長を置かず、市政は府知事が職務を執行する体制となった。このような措置に対しては3市から撤廃運動が起こり、市制施行から10年あまりが経った1898年になってようやく特例廃止法案が成立し、3市に市長が置かれることになった。このときも区は存続されている。

1911年の市制改正では区が、勅令で指定する市の区(同法第6条第1項)、内務大臣が省令で指定する市の区(同法第82条第3項)およびその他一般の市の区(同法第82条)に分けられた。

勅令で指定する市の区は、法人区とされ、財産・営造物に関する事務や法令による委任事務を処理することができ、区会の設置が認められる(同法明治44年勅令第244号第2条)など自治制に関する規定が定められた。

これを受けて勅令による指定を受けた東京、大阪、京都の3市の区は法人区となった。
他方、内務大臣が省令で指定する市の区は、単に市の処務便宜のための行政区であった。これを受けて名古屋市、横浜市、神戸市が順次省令による指定を受け、3市にも区が設けられた。こうした制度設計から分かる通り、「法人区」は現在の「特別区」、「行政区」は現在も同様に「行政区」にあたるものである。

換言すれば、戦前の大阪市の区は、制度的には「特別区」のようなものであったということだ。

法人区に区会という議決機関の設置が担保されているということは、法人区が法人たりうる重要な意味を持つ。

政治家も混乱するほどの複雑さ

この規定は、戦後、市制町村制が廃止され、地方自治法が制定されるまで有効だったようである。ただし、ここが重要なのであるが、ここまでの話はあくまで制度上のことを言っているのであり、実際にこの規定に基づく区会を持っていたのは東京市の区のみで、大阪、京都の2市には少なくともこの規定に基づく区会はなかった。

これはあまりに煩雑な話であるため、橋下徹大阪府知事(当時)の2011年のツイートにすら混乱が見られる。

後段の主張は置いておいて、2文目の文章は完全に誤解である。

『明治大正大阪市史』(1966)によれば、
「大阪市中の区は、東京・京都両市内の区と共に市制第六条に規定せらるゝ法人区であり、制度上はその財産及営造物に関する事務その他法令に依り区に属する事務を処理するものであるが、事実としては別に営造物もなく財産もなく、又独立の議決機関としての区会もな」かった。

橋下氏がいう「区議会」が大阪市の区になかったわけではないが、それは市制第113条に基づく「財産及び営造物に関する事務」のための区会であり、必要に応じて一般市でも設置できるものであった。財産区会は旧東区に1943年まで残っており、橋下氏はこれを指したのだろうが、法人区としての区会とは何の関係もない。

そんなわけで、東京市の区が区会を持ち、制度上も実際上も法人区として機能し続けた一方、大阪、京都の2市の区は、制度上は法人区であったが、実際には行政区に過ぎなかった。

1943年に東京市は戦時法制の一環として東京府と合併して東京都となるが、このとき区の位置付けが行政区ではなく法人区として残されたのは、都制案に対する各区会を無視できなかったためとされる。

戦時法制ゆえ、区は法人格を持たない行政区である方が本来は合理的であり効率的なはずである。そうならなかったのはやはり、区会の存在が大きいといえよう。他方、東京以外の地方自治制度の改革は戦後になり1947年の地方自治法の施行で結実するが、大阪、京都の2市の区は、ここで名実ともに行政区と位置付けられたのである。

今回の住民投票の意義

さて、9年前の橋下氏のツイートを何度もあげつらうのは控えたいが、こうした経緯を踏まえれば、少なくとも今回の住民投票は、過去の「区」のあり方に「戻す」ような営みでは決して無い。

また東京における区が歩んだように、法人としての実態が脈々と受け継がれた結果としての特別区でもない。

実態のある大阪市を廃止して、実態のないところから新たに特別区を設置するという、これまでにない試みである。

東京の区には実態があったからこそ、戦後の長きにわたって自治獲得、すなわち仕事をもらうことに専念してきた。

実態のないところから生まれる新たな特別区が、同じような道を歩めるか。この点に、見極めが問われているといえよう。

・橘田誠(2020)「政令指定都市行政区制度の現状と今後の展望」『公共政策志林』8巻 p.1-13
・竹村保治(1996)『大都市行政区再編成の研究 大阪市の事例を中心に』清文堂出版
・大阪市役所編(1966)『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇』清文堂出版
・大阪市東区編(1944)『東区会史』東区
・公益財団法人特別区協議会編(2017)『特別区自治情報・交流センターブックレット 第5号「特別区が歩んだ自治のみちのり」』学陽書房
・高木鉦作(1989)「大都市制度の再検討」『年報行政研究』23号pp.1-39

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