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ミスコンは「悪」なのか ミス東大候補の不信表明から考える

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ミスコンは「悪」なのか

容姿に順位をつけることの是非

先日、ミス東大候補者の一人である神谷明采さんがミスコンの主催者である東大広告学研究会への不信感を表明しネット上で話題になっています。

ミスコンとは、容姿を競うコンテストであり、国や世界といった規模のものから大学の文化祭などで行われるようなものまであります。

ミスコンは注目を集めることが多いですが、最近では一部の大学などで「容姿に順位をつけることはルッキズムを助長する」というような考えからミスコンを廃止する動きが出てきています。

しかし、今回はそもそも容姿をコンテストという形で競うことは悪いことなのか、ということを考えてみたいと思います。

容姿もまた才能である

人間の才能には、「勉強が得意」、「足が速い」、「歌がうまい」など様々な種類のものがあります。

「容姿が優れている」というのもまた、数ある人間の才能の中の一つと考えることができます。

私たちは、生まれ持った才能を磨き、そしてそれを他者と競うことが多々あります。
勉強であれば学校のテスト、歌であればのど自慢大会などがそれにあたるでしょう。

容姿の場合ではこれはミスコンが該当します。

勉強や歌の上手さを競うことは問題なくて、容姿を競うことだけを問題視するような理由は、なにかあるのでしょうか。

ミスコンは競技に過ぎない

それでは、ミスコンの是非について、のど自慢大会を例に考えてみましょう。

のど自慢大会では、ある程度自分の歌唱力に自身のある人達が大会に応募し、そしてその優劣を競います。

これは、あくまで歌の上手さを評価する目的を持った大会の中で競い合っているだけであり、のど自慢大会を行うことによって、歌とは関係ないものも含めた社会生活のあらゆる場面で歌の上手さによってその人の全てを判断されるというようなことにはなりません

陸上競技大会やM-1グランプリでも、身体能力やネタの面白さといったある人間の持つ技能を部分的に取り出してリングの中で競い合っているに過ぎません。

ミスコンも,立候補した人同士で容姿の美しさを競っているわけですから本質的には同じであり、ミスコンを行ったからと言って容姿が良くない人の全てを否定するわけではありません。
となれば、ミスコンだけをことさらに悪に仕立て上げるのが正しいとは言い難いでしょう。

おわりに

歌で人々を魅了する、美貌で人々を魅了する、この2つにはなにか本質的な違いがあるのでしょうか。

生まれ持った才能を磨き、他者と競争することは悪ではないはずです。

そして、ある面で優れていないからといって、それはその人自身が否定するものでもありません。

特定の分野で競争するということの本質を踏まえなければ、ミスコンの是非を語ることはできないのではないでしょうか。

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