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中曽根合同葬から考える「指導者の葬儀のあり方」

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中曽根合同葬から考える「指導者の葬儀のあり方」

10月17日、中曽根康弘元総理の葬儀が都内のホテルで厳かに営まれた。

600人を超える参列者たちは、80年代の日本の舵取りを担った指導者との最後の別れを惜しんだ。渡辺恒雄氏の弔辞は代読だったが、永年にわたる厚い友情が伝わる内容であった。

しかし、一方で、今回の葬儀に約1億円の国家予算が使われたことに対して、一部で批判の声があがっている。

同時代の西側の指導者がどのように見送られたか簡単に見てみよう。

かつての同僚は・・・

2013年に行われたイギリスのサッチャー元首相の葬儀にはエリザベス女王も参列し、騎馬隊が先導する葬列が1kmにわたって行進した。計1000万ポンド(約15億円)の費用がかかったとされる。

また、中曽根元総理とロンヤス関係と呼ばれる親密な関係を築いたレーガン元大統領は、2004年に亡くなった。当時のブッシュ大統領は6月11日を追悼の日とし、政府職員は有給の休暇が与えられた。その有給の費用だけでも、約4億ドル(約440億円)にのぼったとされる。11日に行なわれた大規模かつ格式高い式典の様子は、インターネット上の動画や画像からも十分に伝わってくる。

日本の元総理の葬儀に比べると、明らかに多くの費用もかかっているわけだが、アメリカのマスコミではどのような議論がなされているのだろうか。

国民を一つにするための小さな代償

U P I通信(※1)の記事『The cost of pomp for Reagan’s funeral』は、レーガン元大統領の葬儀にまつわる多岐にわたるコストを指摘した。
例えば、レーガン元大統領の遺体を運ぶ飛行機の燃料代や、葬儀の当日、(サラリーマンが休みのため)客がほとんど来なかった飲食店があることなどを紹介している。

しかし、最後の段落では、アメリカでは大統領職が王室に近い存在であるとした上で

”So perhaps Reagan’s funeral was a small price to pay to bring the nation together after all.(レーガンの葬儀は、国民を一つにするための小さな代償だったのかもしれない)”としている。

また、2018年に死去したジョージ・H・W・ブッシュ元大統領についてのニューヨークタイムズの記事「A Funeral for a President, and a Fleeting Unity for a Nation」は、
”Presidential funerals provide a moment for Washington — and the nation — to pause and embrace the better side of our politics.
大統領の葬儀は、ワシントンと国民にとって、一旦立ち止まり、政治の良い面を受け入れる機会となる。)”という一文から始まる。

大統領という職は激しい批判に晒されたり国内に分断を生み出したりする仕事であるとしたうえで、
”the highly choreographed spectacle of a presidential funeral 〜中略〜 offers Americans a welcome chance to reflect on the nature and value of public service, to celebrate the achievements of the person and the office.
高度に振り付けられた大統領の葬儀の光景は、アメリカ人にとって公務の本質と価値について考えその人と職務の業績を祝う歓迎すべき機会を提供している)”としている。

これは、2018年の記事である。分断という重い課題を抱える現代のアメリカにおいて、大統領の葬儀は分断を癒す側面があると捉えられているようだ。

1億円の分断

残念ながら、今回の中曽根元総理の葬儀では、逆に政治的な分断が生まれてしまった一面もあったように思える。

もちろん、我が国には天皇陛下が統合の象徴としていらっしゃるので、首相職と大統領職を同列に扱うことはできない。

しかし、約1億円の予算が、これほどの反発を呼び、葬儀費用についてのワードをトレンド入りさせ、国民に分断をうむとは思わなかった。ただただ、故人とご遺族が気の毒である。過去の元総理の葬儀も、このような議論に見舞われたのだろうか。ぜひ調べてみたい。

私個人としては、戦後の内閣総理大臣で従一位に叙されたのは吉田茂佐藤栄作中曽根元総理の3人だけであることを踏まえると、1億円は妥当な支出であると思う。これは、政策や人格や党派性とは無関係だ。将来、もし非自民党政権の総理が長期にわたり国の舵取りを担うことがあれば、同じく従一位に叙し、国家としてその労に報いなければならない。

先ほどのニューヨークタイムズの記事で、歴史家はこう述べている。

“We might not agree in historical hindsight on what they did or how they did it,”

“But they were always trying to do what is best for the country.”

過去の大統領たちが、何をどのようにしたかについては、賛同できないかもしれない。しかし、彼らは国のために最善のことをしようとしていた。

追記

今回の件で、一つだけ建設的な提案があるとすれば、葬儀の準備の点である。

中曽根元総理は昨年の11月に亡くなり、今年3月に合同葬が予定されていたものの、コロナの影響で、10月17日となった。

一方で、レーガン元大統領は、6月5日に亡くなり、6月11日には国葬を終えている。一般的にアメリカ大統領は生前から、葬儀の計画をたてているとされていて、それに従い迅速な国葬が行われている。

訃報が速報された時点から、故人とその時代を振り返る報道が大量に流れるだろう。そこから、数週間以内に内閣による葬儀ができれば、良いのではないだろうか。

(※1 UPI通信はアメリカを代表する通信社であったが、経営悪化により統一教会系の企業に買収された。)

 

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