コラム

「記者が政権の要職に?」佐藤栄作秘書官の大出世(By きづ)

新聞社から官邸へ 楠田實の転職

先日、共同通信の論説副委員長をつとめていた柿崎明二氏が首相補佐官に就任したことが大きな話題となりました。

直接、マスコミから政権の要職についたことで、「政治とマスコミの距離感」といった論点で賛否両論となったのです。本人も「メディアからの転身なので、色んな受け止め方があると思う」と語っています。

しかし、「記者が政権の要職に就く」こと自体は、近年では珍しいものの、歴史を紐解けば、決して「前代未聞」の話ではありません。

昭和の時代は、新聞記者が内閣総理大臣秘書官(首相秘書官)に就任するということはよくあることでした。なかでも、沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作総理を秘書官として支えた楠田實は有名です。

今回は、楠田の記者から首相秘書官への「転職」を通して、「記者と政治家の関係」を見てみましょう。

政治部記者

楠田實は、サンケイ新聞の政治部の記者でした。当時の日本政治は、「派閥」が政局の中で極めて重要な役割を担っていました。新聞社としても当然、政治部の記者を派閥に分けて担当させると言うのが基本的なやり方です。

楠田は佐藤派の担当になり、佐藤派のボスである佐藤栄作と出会います。

楠田は、佐藤派内からかなり信頼されていたようで、政調会長だった佐藤派の田中角栄から、佐藤の総裁選不出馬の説得を頼まれたりしています。

角栄は「君は佐藤のオヤジともひじょうに親しいのだから、折があったら、田中はこう考えているということを伝えてくれないか、オヤジを説得してくれないか」と楠田に語りかけました。

秘書や政治家、官僚ではなく、新聞記者が、「総裁選に出馬すべきではない」という超重要メッセージを伝えるという役目を担っているわけです。このように、かつては、記者が政治家のメッセンジャーとして働いたりすることで、政局において一定の役割を果たすことがありました。

昭和38年のクリスマス

昭和38年の12月24日、楠田は佐藤邸を訪れました。クリスマスイブに、食堂で佐藤は一人でトランプ占いをしていたそうです。
そこに、楠田が入ってきました。佐藤は「君は今晩はクリスマスパーティに行かなかったのか」と、クリスマスイブにわざわざ政治家の家を訪ねてきた楠田を軽くイジったりしています。
その会話からも、二人の信頼関係が伺えます。

この訪問の本題は「未来の佐藤政権」です。次の総裁選に向けて、佐藤政権が誕生したときの政策の公約をどのようにつくるかを考える必要があります。

楠田はこう切り出しました。

「アメリカのケネディ大統領が、ハーバードの学者グループを大量に動員して新しい政治方式、キャンペーンのあり方というものを開発したり、現実政治の中にいかに理想や哲学を盛り込むかという工夫をして、それがひじょうに感銘を与えているわけですが、日本の政治も、これからはそれに似たようなところまで持っていく必要があるのではないでしょうか」

つまり、ケネディ大統領のように、有能なブレーンたちを集め、彼らに現実の政治へのアドバイスをさせたり政策をつくらせたりすることを目指すべきではないかと提案したのです。

佐藤は「おれもそう思う」と返します。

楠田は「もしさしつかえなければ、私の立場で、新しい時代の政治はこうあるべきだという観点から少しものを考えてみましょうか」と言いました。楠田自らがそのブレーン集団の中心となり、佐藤政権誕生に向けて働くと提案したのです。

佐藤は「そうしてくれるか」と返しました。

Sオペ

ということで、楠田は佐藤政権誕生のため、動き始めます。

とはいっても、楠田は新聞社の社員なので、通常業務があります。

デスクとして朝刊夕刊を作る合間に、睡眠時間を削り、ブレーン集団をつくったのです。学者、官僚、新聞記者といった様々な人材に声をかけチームを作りました。このチームのことを「佐藤オペレーション」、略して「Sオペ」と言います。

昭和39年7月の総裁選で、佐藤栄作はSオペが作成した政策をひっさげて、現職の池田勇人に戦いを挑みます。壮絶な総裁選の結果、佐藤は惜しくも池田に敗れました。

敗れはしたものの楠田はSオペの政策にはかなりの自信があったようで、「政策論争では明らかに勝ったが、多数派工作では敗れた」と振り返っています。

しかし、総裁選で勝利した池田ですが、数ヶ月後に病に倒れ総理総裁を辞任しました。そして、総裁選で敗北した佐藤が政権を担うことになったのです。
7年8カ月にわたる佐藤長期政権がこうして始まりました。

秘書官へ

政権が始まって2年後、楠田は佐藤首相から首相秘書官就任の誘いを受けます。しかし、楠田には迷いがありました。
「サンケイ新聞という大きな組織の中で、いうならば、ぬるま湯の中で育って来たものが、きびしい、しかも未知の社会に飛び込んで結局は自分が傷つくことになるのではないかと言う不安もあった」と当時を振り返っています。

楠田は当時の上司に相談に行きます。

上司は言いました。

「男の一生のなかで女に惚れられることは何度かあるかもしれない。しかし男に惚れられるという事はめったにないものだ。ここまできたらもう後に引くべきではない。先々の事は考えずに飛び込むべきだ。皆で応援するから、佐藤総理の手で沖縄返還が実現するまで君の全てを燃焼し尽くすべきではないか。」

昭和な感じもしますが、めっちゃアツいセリフです。上司の言葉に、背中を押され、楠田は佐藤首相の秘書官となりました。

最後に

楠田と佐藤の関係を通して、記者と政治家の間で信頼関係や友情がうまれることがわかりました。このような関係については、「権力とマスコミの癒着」との批判もあるかもしれません。
ただ、一方で触れておきたいのは楠田のその後です。
楠田は首相秘書官を辞任した後、佐藤政権を振り返る著書を執筆しました。また、彼が残した日記などの膨大な資料は、デジタルアーカイブ化され大学図書館などで閲覧することができます。
柿崎氏も首相補佐官を辞められた後は、記者に戻って、菅政権の官邸での日々を書いてくださることを願っています。

小池百合子
【5分でわかる小池百合子】若い頃はキャスター、自民党を経て東京都知事へキーワード解説:「小池百合子」 https://youtu.be/ofCsslfc-So 経歴 生年月日:1952年7...

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
ABOUT ME
きづ
きづ
98年奈良県生まれ。神戸大学在学中。奈良県在住なのに大阪の中高に通い、神戸の大学に通っています。ベッドタウン最高!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。