コラム

安保法制は違憲?憲法9条の解釈について考えてみた(By Hiro)

憲法典は集団的自衛権を否定しない

要約:安保法制成立から今年で5年を迎えた。それを受けて、改めて様々な論評が行われている。安保法制以前の個別的自衛権のみが合憲(とされる)解釈=合憲という論拠を基に、安保法制の違憲性を指摘したものも少なくない。果たして、憲法典それ自体は集団的自衛権を認めていないのだろうか。本稿ではそれについて検討する。

はじめに

安保法制が成立してから、今月19日で5年を迎えた。それを受けて、同法に関する論評が様々発表された。朝日新聞の社説は、「歴代内閣が一貫して維持してきた憲法解釈を変更し、集団的自衛権の一部行使に道を開いた安全保障関連法の成立から、きょうで5年。菅首相は安倍政権の継承を掲げるが、違憲性のある法律をそのまま引き継ぐことは許されない。」と、安保法制の違憲性を指摘する。その他、「違憲の安保法制」などと断定した評価も見られる。 それらが安保法制の違憲性を主張する根拠の中心は、個別的自衛権のみを認めた(とされる)安保法制以前の解釈を根拠に、安保法制は集団的自衛権の一部容認という解釈変更を行うというものである。本稿では、安保法制を憲法典の内容から合憲・違憲性を検討し、憲法9条は現代国際法の遵守を目的としたものであり、その意味で安保法制は合憲であることを主張したい

憲法9条は集団的自衛権を否定しない

前述のとおり、安保法制を違憲とみなす根拠として、安保法制が、安保法制以前の解釈では認めていなかった(とされる)集団的自衛権を一部容認したことを挙げる。しかし、百地章教授が「違憲と言うからには従来の政府見解の枠ではなく、憲法の枠を超えるという説明が必要です。…」と指摘するように、憲法典に依拠した形で、集団的自衛権を違憲とする論拠を提示しなければならない。過去の憲法解釈を尊重することは必要だろうが、直ちに憲法解釈の変更=憲法違反という構図になるわけではない

では、憲法典は集団的自衛権を否定しているのだろうか。結論から述べてしまえば、憲法9条は現代国際法の遵守を目的としたものであり、現代国際法の下で認められた個別的・集団的自衛権の行使、集団安全保障を目的とする「軍隊」の保持を禁じていないそれ故に、安保法制によって集団的自衛権行使が一部容認されたことは、国際法、憲法に照らせば、合憲と判断できる。あくまで、安保法制は、それらが認める枠組みの中で、過去の解釈が変更されたことを意味するだけである。ただし、合憲・違憲判断とは別の次元で、両権利が認められているという前提で、「それでも個別的自衛権に限定する必要があるのではないか」などといった、解釈に関する政策的な議論は否定されるべきではない。議論をする前提に対する認識が重要であることを強調したい。

加えて、既出の朝日新聞の社説では「歴代内閣が一貫して維持してきた憲法解釈」とあるが、9条の憲法解釈はこれまで変遷しており、実際には一貫した解釈など存在しない。

72年見解の存在を根拠に、個別的自衛権合憲論・集団的自衛権違憲論を導出する場合も多く見られるが、その見解は一解釈であり憲法制定後から一貫して維持されてきたものではない。内外の環境を考慮し、憲法の認めた範囲内で憲法解釈が行われてきたのである。安保法制もその例外ではない。

安保法制の概要については、http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/gaiyou-heiwaanzenhousei.pdfを参照

 朝日新聞、「(社説)安保法5年『違憲』継承は許されぬ」、2020年9月19日https://www.asahi.com/articles/DA3S14627554.html (2020年年9月25日アクセス)

しんぶん赤旗、「安保法制強行“米国の戦争に役立つ”」、2020年9月19日https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-09-19/2020091901_03_1.html(2020年年9月25日アクセス)

デイリー新潮、「なぜか疎外されている『集団的自衛権は合憲』の憲法学者座談会―長尾一紘×百地章×浅野善治」、2015年7月30日https://www.dailyshincho.jp/article/2015/08030815/?all=1 (2020年9月25日アクセス)

憲法9条の憲法典から読み解く-禁じられた「戦力」とは

憲法9条の憲法典をもとに、その中身を確認していきたい。9条に関する解釈問題は、①9条1項から2項の意味を確定させる方法、②9条2項の意味から1項の意味を確定させる方法、という解釈の方法論に起因し、特に後者の解釈方法の正当性が、中心的な問題になる。 なぜなら、「一項で軍事行動を一定の範囲で認めておきながら、二項でそれを全面的に覆して無意味化・無効化する」解釈は正当なものとは言えず、「規定が存在する以上は、それぞれにそれなりの意味を与える」というのが「解釈論の常道」であるためである。特に問題となる9条2項の「戦力」の解釈問題について、9条の憲法典から、確認してみたい。憲法で禁じられた「戦力」とは何を指すのだろうか。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本語の条文を字義通り解釈すれば、1項の意味合いと切り離されて、2項で自衛を含むあらゆる「戦力」が否定されているように読めてしまう。「2項全面放棄説」が妥当な解釈のように思われる、ということである。しかし、同時に9条の英文を踏まえた解釈を行うことで、1項2項との連接性が明確になり、前述①の解釈方法の正当性が理解できる。元々英文で起草されていることを歴史的な背景を踏まえると(それが良いかどうかの価値判断は別として)、日本語に加えて英文の意味内容も検討する作業は必要である。

<憲法9条英文>
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

1項の内容は、戰爭抛棄に關する條約(パリ不戦条約、ケロッグブリアン条約)、国連憲章といった国際法と密接な関係にある。それらが否定したのは「侵略戦争」であり、個別的・集団的問わず自衛権は留保されている。この理解については、ほとんど合意が取れていると言えるだろう。

<戰爭抛棄に關する條約>
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス

<国連憲章>
二条四項 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

2項の解釈がしばしば問題となるが、9条1項2項の英文の繋がり、前述①の解釈の正当性を踏まえれば、2項は1項で禁じられた「戦争(war)」を目的とした「戦力(war potential)の保持を禁じたものと読み解くことが可能である。この点については、篠田英明教授の主張が参考になる。篠田教授は、2項で禁じられた戦争について、「9条1項は、国際法上の違法行為である『国権の発動としての戦争』を放棄する、という国際法遵守の宣言であった。9条2項はその違法行為である『国権の発動としての戦争』を行うための『潜在能力(war potential)』を把持しない、という宣言である。」と説明する。一項で禁じられた「war」と2項で不保持を宣言した「war potential」の「war」との繋がりが読み取れる、ということである。そのため、前述②の解釈は、2項の「戦力」を都合よく解釈し、それを以て、1項の意味合いを打ち消してしまうものであり、正当な解釈とは言えないだろう。

篠田英朗、「現代国際法と日本国憲法の整合性の解明 : 従来の憲法学通説の9条解釈の問題点」、『広島平和科学』41巻、2020年3月、89頁

安念潤司、「集団的自衛権は放棄されたのか—憲法9条を素直に読む」、『スターバックスでラテを飲みながら憲法を考える』、有斐閣 、285頁

 「2項全面放棄説」とは、9条1項は侵略戦争を目的としたものであるが、2項の存在により1項の意味が打ち消されてしまい、結果的に自衛の目的を含むあらゆる戦力の保持が許されないとする説である。

おわりに

以上を踏まえると、個別的自衛権のみを認めた(とされる)一解釈を根拠に、集団的自衛権を否定していないことが分かる。また、憲法典を読み解いていくと、現代国際法の遵守を目的としたものであり、個別的・集団的にかかわらず憲法の範囲で認められていることが理解できる。そのため、安保法制によって、容認された集団的自衛権の一部は違憲とするのであれば、なぜ個別的自衛権であれば認められるのか、という論拠が求められる。憲法が個別的・集団的自衛権を認めていることを前提に、憲法論議が進展していくことを期待したい。

 篠田英朗、『憲法学の病』、新潮社、2019年、67頁

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