コラム

「次の総理は君だ!」中曽根裁定を振り返る(By きづ)

「次の総理は君だ!」中曽根裁定を振り返る

安竹宮

昭和62年(1987年)の秋、5年間にわたる長期政権となった中曽根康弘内閣が終わろうとしていました。

衆院選の大勝で延長した総裁任期も終わりに近づき、ポスト中曽根に世間の関心が集まっていました。

「安竹宮」

当時、有力な総裁候補とされていた3人を表した言葉です。
「安」は、安倍晋太郎総務会長。言わずと知れた安倍晋三総理のお父さんです。「竹」は、竹下登幹事長。DAIGOのおじいちゃんとしても有名ですね。そして、「宮」は、学歴に厳しいことで有名な宮澤喜一蔵相

昭和62年(1987年)10月8日に告示された総裁選に「安竹宮」はそろって立候補をしました。

選挙か、話し合いか

さて、3人の戦力ですが、あきらかに最強なのは竹下さんです。100人を超える最大派閥のボスであり、他派からの票も見込めるので、選挙になれば、最低200票はかたいはずです。
逆に、議員票で劣っていたのは宏池会(現岸田派)の領袖だった宮澤さんでした。そこで、宮澤陣営は「話し合い」での総裁選出に期待を寄せます。当時、現職である中曽根さんの「意中の人」は明らかになっておらず、「話し合いの末に、中曽根総理が宮澤さんを後継総裁に指名するかもしれない」と言う期待があったからです。

さて、肝心の中曽根総理は、後任の総理総裁をどのように決めたかったのでしょうか。

選挙か、話し合いか。

総理をやめた後、中曽根さんが影響力を残せるのはどちらなのでしょう。

選挙で勝利して総裁になるということは自分自身の力で権力を勝ち取ったということになり、新総裁の権力基盤は盤石なものになります。しかし、話し合いの末、中曽根総理が総裁を指名するとなると、新総裁は「中曽根総理のおかげ」で誕生することになります。当然、中曽根さんの意向は無視できません。ということなので、もちろん中曽根さんは「話し合い」、というか、「話し合いの末の中曽根さんによる後継指名」に持ち込みたいわけです。

しかし、竹下さんの立場では逆になります。「中曽根さんに禅譲された権力」か、「自分自身で戦って勝ち取った権力」か、後者の方が望ましいのは明らかです。当然のことながら、竹下派では、「話し合いではなく選挙で戦って総裁の座を手に入れるべきだ」という意見がたくさん出ました。

会談、そして・・・

しかし、中曽根さんのほうが一枚上手だったかもしれません。

10月15日夜、雨の中、竹下さんは総理官邸を訪れました。もちろん、用件は中曽根総理との会談です

そこで、中曽根さんは勝負をかけました。
直接的な表現ではありませんが、中曽根さんは「選挙をやめて話し合いにすれば、竹下さんを後継指名する」と匂わせたのです。

繰り返しますが、中曽根さんは直接的に「選挙をやめれば、あなたを後継指名する」とは言ってないと思います。しかし、微妙な言葉選び、表情、声のトーンなどから、竹下さんは確信をしたのでしょう。「中曽根さんは自分を指名してくれる」と。

すかさず、竹下さんもダメ押しします。

「自分が総理になっても中曽根路線はしっかり継承する。外交はすべてご指導を仰ぎたい。」

そう宣言し、会談を終えました。

一方、安倍陣営ですが、選挙に持ち込むべしとの派内の意見も強かった一方で、なぜか巷では「話し合いの末、中曽根総理は後継に安倍さんを指名する」との情報が飛び交っていました。

ともあれ、こうして安竹宮の3人ともが中曽根総理による後継指名を期待する状況が作られました。中曽根さんの思惑通り、「話し合いからの中曽根さんによる後継指名」へと大きく流れが動き始めたのです。

中曽根裁定

長い話し合いの末、ついに10月19日夜、中曽根総裁への白紙一任が決まりました。

もう、3人とも中曽根総理による自らの指名を願って待つことしかできません。

世間的には、「安倍有利」との見方が強かったようですが、結果は、神と中曽根総裁のみぞ知るところです。

「新総裁は安倍氏」「安倍総理誕生」
裁定前に、そんな速報を打つマスコミもあったそうです。

そして、20日未明、運命の「中曽根裁定」がくだりました。

「私は熟慮の結果、総裁候補者として竹下登君をあてることに決定した。他の二者におかれては、前記の趣旨にのっとり全面的に協力されんことを強く希望するものである。昭和六十二年十月十九日 自由民主党総裁 中曽根康弘」

こうして、竹下総理が誕生しました。
島根県の酒屋に生まれ、青年団活動、県議会議員を経て、ついに総理大臣の座を掴み取りました。
NHKアーカイブスで、裁定後の竹下さんが仲間たちから熱く祝福される映像を観ることができます。

一方、敗北後の安倍陣営の様子を、番記者が回想していたので引用します。

“次の総理大臣が竹下登幹事長(当時)に決まった夜は、とりわけ印象深いものだった。富ヶ谷の安倍邸では、安倍派幹部が悲嘆に沈んでいた。他社の先輩記者の何人かが悔し涙を見せる向こうで、煮えたぎる思いを胸に収め、淡々とした表情で報告に耳を傾ける安倍さんの姿に、運命を粛々と受け入れる“潔さ”を感じたのは、私だけではなかったと思う。“(リレーエッセー「私が会ったあの人」安倍晋太郎さん(森本 和憲)2012年9月)

宮澤さんはのちに総理総裁の座を射止めることができましたが、安倍晋太郎さんは将来の総理の座を確実視されながらも4年後に病でこの世を去りました。

令和2年(2020年)の秋は、政治の季節となりました。総裁選や新内閣誕生を伝えるワイドショーやニュースの報道をチェックする一方で、過去の総裁選を振り返ってみるのもいかがでしょうか。

文献

大下英治(2016)『自由民主党の深層』イースト・プレス
安倍晋太郎さん(森本 和憲)2012年9月<https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/24839>(2020年9月5日参照)

野党は、なぜ与党になれないのか(By うの)2020年9月、新菅内閣が誕生したが、このときの朝日新聞の世論調査による内閣支持率は、支持するが65%、支持しないが13%という結果になった。いま激突しているのは左と右の勢力ではなく、空想家、夢想家である“ドリーマー(dreamer)”と現実を見据える現実主義者“リアリスト(realist)である。令和の時代を迎えて、新たな政治が展開される。今後の野党陣営には注目していきたい。...

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きづ
きづ
98年奈良県生まれ。神戸大学在学中。奈良県在住なのに大阪の中高に通い、神戸の大学に通っています。ベッドタウン最高!

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