コラム

課外活動ガチ勢の私は中学3年間の不登校でどう変わったのか(By 車世栄)

1.中学受験の失敗

元々私は中学4年生の頃から塾に通っていたいわゆる「中学受験ガチ勢」でした。成績も悪くなく、志望校は都内私立の男子校ですべて固めていたほど、受験に対しての意識は高い方でした。しかし、友人と遊べないといういかにも小学生らしい理由から、塾をやめてしまったのです。しかも、中学受験の勉強によって小学校での授業内容を先取りしていた私にとって、当時の授業は退屈であったため、ちょっと早めの反抗期も既に来ていました。
しかし、そんな早めの反抗期に入った私にとって「受験で負ける」というのがだんだん嫌になってきて、再び中学受験を目指すようになります。それが確か小学5年の後半か小学6年の前半。
塾に入って初めての面談で私は志望校として、小学4年の頃と同じところを挙げていましたが、学力とのギャップが1年のブランクによって生まれてしまい、ショックを受けました。
そのことによって小学6年の半ば頃~後半は不登校になり、受験勉強にも打ち込めず、結果的に滑り止めの滑り止めしか受かることができませんでした。
中学受験といえば、2月1日からの3~5日が受験の本番ですが、3日の時点であまりのショックでそれ以降の私見をすべて欠席していたほど、当時はショックでした。

2.中学入学直後

そうして私は都内の私立中高一貫男子校に入学しました。滑り止めの滑り止めであった頃からも、クラスは一番上からスタート。交友関係も試験結果もよく、順風満帆な中学生活でした。
しかし、そんな生活が徐々に変わって行ってしました。
その理由は「中一ギャップ」です。
テニスを幼少のころから続けており、当然のように入ったテニス部が私にはあまりマッチしなかったのです。そのせいで授業に終わってすぐ部活、そして死んだように帰宅直後に寝てしまう。そして朝起きたら終わっていない宿題のプリント(いわゆる自称神学校だったため、毎日のプリントや宿題は常にあった)が鞄の中に。
私は性格的に見栄っ張りで、宿題をせずに学校に行くということができず、不登校の癖ができていきます。
ただ、そんな不登校癖があってもテストでの点数は相当よく、「学校行かなくても大丈夫だ」という謎の余裕が生まれ、中一の半ばごろから消極的不登校から積極的な不登校へと変わっていきました。

3.勉強ができるというアイデンティティの喪失

しかし、中学の半ば~後半で転機が訪れます。テストの点数が低下していったのです。当時私は普段学校を休みながらテストだけを受けるような余裕を見せていたのですが、得意な科目以外が壊滅的な点数だったのです。
このことがあまりにショックで、表向きでは「得意科目でこんなに点数取れているから学校なんて意味がない!」と言いつつ、勉強ができるというアイデンティティを徐々に失っていったのです。
その後はそのアイデンティティを失わないため、テスト自体を受けないという選択肢・消極的な不登校へと変わっていったのです。

4.オンラインゲームでのコミュニティ形成

そんな風に、アイデンティティを失いつつあった私がのめり込んだのはオンラインゲームでした。当時私はランキングに入るような実力を持っており、勉強ができるというアイデンティティからゲームがうまいというアイデンティティを持ちつつありました。
そんな風に毎日10時間以上ゲームに費やすような生活をしていると、ゲームの中でのコミュニティにのめり込んでいくようになっていきます。
ゲームから繋がったいわゆるネッ友とTwitterやLINEで繋がり、元々やっていたゲーム以外にも色々手を出してみたり、気付くとLINEのグループ通話時間が14時間を超えていたりなんてことが多々ある日々を過ごすようになったのです。

5.私のセレンディピティ

そんなオンラインゲームでのコミュニティでは、ある意味社会の縮図と取れるような様々な体験をすることができ、社会性を養うという点ではむしろ学校よりもリアルな姿を学べたのではないかと思っています。

それを通じて私は社会への興味を深めていきました。例えば、当時1つ年上の先輩で中卒で働いている人だったり、学費が払えず大学を中退してしまった先輩、就職先がなかなか見つからずアルバイトで食いつないでいた社会人の方など。私立の中高一貫校で周りに裕福ないわゆるぼんぼんといわれるような人たちに囲まれていた自分にとってはとても新鮮な体験であり、それが社会へ興味を持つ原体験だったのではないかと思います。

度々この頃を自分の中で思い出しながら考えるのですが、このような出会いが、今の私の考えのもとになっているんだなぁと、とても感じます。

この出会い・セレンディピティがなければ、今の車 世栄はいなかったといっても過言ではないでしょう。

6.社会への関心

私はそんなセレンディピティをきっかけに、社会への関心を深め、特に政治について勉強を始めました。当時はネットの情報に大きく影響され、いわゆる右の立ち位置で、和田政宗参院議員や櫻井よしこ氏、西岡力氏などにお会いさせていただき、より考えを強めていきました。
講演会等にも積極的に参加していった私ですが、話の中で学校というワードが出る度に心が痛んでいました。
「学校はどう?」
といった質問ですら毎回深く心にとげが刺さったような感覚を覚えていました。
そこで私は「絶対に学校に行こう」と決心し、高校から学校に通うようになります。

7.高校生活

高校は中高一貫の学校だったため、そのまま進学しました。その学校は高校からの入学者がいない完全中高一貫制の学校だったため、周りはもう既に3年間付き合ってきた仲の良い友達。そんなコミュニティの中に突然名前も顔も知らない人が入ってきたのです。自分にとってもそうですが、周りからも「だれ?」という何も知らない状態から始まった学校生活でした。
ただ担任の先生が相当うまく馴染めるようにサポートしてくださったのもあり、なんとか馴染むことができました(諸説あり?笑)。

そして私を変える一大イベントが学校に訪れたのです。それがリディラバによる2泊3日のスタディーツアーです!

リディラバのスタディーツアーについてはこちら

そこで私は社会問題の何たるかをゼロから学び、それまで政治のイデオロギーの部分に興味を持っていましたが、より実践的な部分へと興味を移していきました。

8.課外活動ガチ勢へ

そこからはスタディーツアーで学んだ知識を活かし、学内でプロジェクトを立ち上げたり、課外で学生団体に所属し、高校1年生ながら高校1年生に出前授業をしに行くといった体験をさせて頂いていました。
自分の人生を振り返ると、完璧に言語化できなかったので深見が感じられませんが激動の学生生活だったと思います。
このような体験全てが今の私、車 世栄を作ってきたのです。
そう考えると、不登校も、ゲーム漬けの日々も、欠かせない貴重な体験だったんだなと、過去の自分を否定するのではなくむしろ肯定的に捉えています。

そんな私、車 世栄は現在も日々成長中であり、は元居た学校を飛び出しネットの高校として有名なN高へ転学し、都議会議員事務所でスタッフとして活動を行ったり、法人の立ち上げなどを画策しています。

なぜN高に転学し、法人を立ち上げようと思ったのかなどはまた別の機会に書くことができればと思います。

9.さいごに

以前私は国民民主党本部からスタジオでニコニコ生放送に出演をしたことがあり、香川県のゲーム規制条例案に対して玉木代表・伊藤議員にこんなことを言ったことがあります。
「ゲームやオンラインのコミュニティによって救われている人もいるし、なにより根本的な原因はゲームではなく実社会の方にあるのではないか」

不登校やオンラインゲームへの依存で苦しむ学生や親の方は今も本当に多くいらっしゃると思いますが、磨けば輝き、光るようなダイアモンドの一面がななたにも必ずあると思います。

今の自分を否定的に捉えてしまうのではなく、受け入れてあげて、ゆっくりと前に進んでいきましょう。

ぜひいつか社会のどこかで皆さんとお会いできることを楽しみにしております。

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